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経営コンサルタント吉見からのお知らせ

「私は必要?」 自分の存在意義を自問する社員

あなたは「自分の存在意義を感じられない時」を何度経験されましたか?

「自分がいなくとも、仕事って普通に回るもんだよね」と思ったことはありませんか?
「たとえ仕事は回っても、きみがいなくなったら私は困る」と言われたことはありますか?
「自分を追い込むばかりではなく、心を強くして成長したい」と思いませんか?
 自分がいなくても、誰も困らないとまでは思わないものの、その場の空気が、なぜか自分だけ排除されているような、自分がここにいることが何か場違いなような感じを経験したことはありませんか? 
自分だけみんなと同じ空気に包まれていないような感覚はありませんか?
 これは、私自身がこれまで感じたことの一部です。人の中に居ながら感じる疎外感であり、孤独感でもあります。今でも時折このようなことを感じる場があります。

 新たに仕事で関わる会社では、社内の実際の雰囲気を知るうえで、必ず主だった社員の方の面接をします。どの会社でも不思議と一定割合の人(人数は多くはないのです)が、「自分の存在意義」を見失いかけています。そういう人は、優しさにあふれた印象の人が多いのです。
 上司の誰かが、ただ1人でいいから、「彼(彼女)の存在」を認めてくれて、「きみがいて本当に良かった」「きみがいないと私は寂しい!」と言って欲しいのでしょう。そこに安心感を得たいのだと思います。しかし、何らかの理由があって、そのような言葉が少ない組織風土があるのでしょうね。
 「今必要とされて、ここに自分がいる」ことを、他人の言動を通じて繰り返して感じたいのが人間のようです。しかし、気持ちが落ち込んで、仕事に恵まれない状態が長いと、「自分がいなくても、誰も困らない」という思いが深まっていくことは、私の経験からも実感できます。自分の存在意義を感じられない中で働くのは、実に孤独なことです。「自分の存在意義」を感じられないままでは、前に進む気力も、新たに何かに取組む気力も、次第に失われていくのが普通の人でしょう。
 
 人間というのは、他者の愛情を通して、生きる意味や働く意味を見いだし、それが励みにつながるという存在のようです。しかし、裸の自分と向き合うことを(見たくない過去も含めて)何よりも恐れる人間は、他者を介して自分を見ようとするか、見ることさえも拒否するものです。
 「自分のやっていることは価値がある」という感覚は、「有意味感(sense of meaningfulness)」と言うそうです。これは人間の生きる力で、半歩でも一歩でも前に進もうという、モチベーション要因となる感覚を示した概念とされます。そして、この有意味感が高いと、「ストレスや困難は自分への挑戦で、これらに立ち向かっていくのに意味がある」と考えることができ、前向きに対処できるとされます。有意味感が高ければ高いほど、どんな困難であろうとも、どうにかして前に進んでいこうというエネルギーが引き出されるというのです。 
 この「意味がある」という感覚は、自分がやっていること、自分が携わっている仕事などに向けられることもあれば、自分の存在意義(生きる意味)そのものに向けられることもあるでしょう。 自分の存在に意味があるという感覚を持てれば(使命感の自覚ともいいます)、自分のやっていることにもより高い価値を見いだすことができるでしょう。自分のやっていることに高い価値があるという感覚を持てれば、それに取り組んでいる自分自身に対しても価値を見いだすことができるでしょう。

 人間というのは、心が折れそうな時、「あなたがそこにいるってこと、ちゃんと分かっていますよ、いつも気にしていますよ!」というメッセージを感じたくて、それを求めて生きているのかもしれません。自分の存在価値を素直に感じることができると、それだけで「今日も一日元気で頑張ろう!」となるでしょう。自分のやるべきことや、自分の進むべき方向が見えてくると、自分の存在意義に迷うことがなくなります。そうすると、かなり大変なことが起きても、逃げ出すことなく、フリーズすることなく、向き合うこともできます。昨年の大震災の甚大な被害から立ち上がろうとされている企業人の方々が、そのお手本でもあります。

[ 更新:2012-05-09 15:16:49 ]

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