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鈍いハラスメント

遙洋子さんのコラムで使っていた言葉です

遙洋子さんは「相手の都合やら思いに対する“鈍さ”が苦手」と言います。
たぶん誰でもそうだと思います。
以下引用開始>
「げんき~?」は、本当に元気な人か、あるいは元気かどうかわからない人にする挨拶だ。
 同窓会に来たメンバーに「げんき~?」はある。 苦しむ患者に「げんき~?」とは言わないだろう。 いや、その男性なら言うかもしれない。それも本人的には、好意から出た言葉として。
 他にも、体調を崩している人に言ってはならない言葉はある。
 かつて私が言われて腹が立った言葉を並べてみる。
 「前向きに生きようよ」 …お前、病気になってみろ。
 「病気と共存して生きようよ」 …お前、健康だから言えるんだよ。
 「気分転換にいろいろやったほうがいい」 …だから、しんどい、と、言っているやろ。
 どの言葉も、言っている本人に悪意はない。良かれと思って言っている。しかし残念ながら、鈍い。
 そんな中、私が深く感動した言葉があった。
 「私に何かできることはない?」
 これだ。病気の人にはこの言葉が、私の経験ではトップクラスに好意が届く。
 大前提として、自分は何も事情を知らない。そんな私にできることはないか?と聞いているのだ。
この謙虚さと、自分の立ち位置の理解度の高さ。
 ある友人は、メールで「体調が悪い」と書くと、翌日、食事を届けてくれた。そんな類の有難い行為は、言葉を超えて"即、助ける"というところにその人の心意気がある。
 「鈍いハラスメント」は、何ひとつ知らないくせに、好意で「〇〇すればいい」と身内のような距離感で相手に助言する。されたほうは、「お前、私のいったい何を理解しているというのか」と腹が立つ。
<引用終了  http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213874/112400038/?ST=print より

私の亡き父が、胃の三分の二の摘出手術を終えたばかりの時に、当時の父の勤務していた会社の人たちがたくさんお見舞いに来て下さった。ほとんどの方が「頑張って」「頑張れよ」と父に声をかけて下さった。
面会時間終了後、父はボソッとつぶやいた。「手術が終わったばかりで、こっちは頑張る以前だ。頑張るどころじゃない・・・」と。
私は手術も大病もしたことはないけれど、父の度重なる入院と、数度の手術に子供として場を共有してきた。
今の年齢になって思うことは、術後の人には無言で見守って下さるか、「いつまでも待ってるよ」という言葉の方が、当時の父は嬉しかったのかもしれない。

[ 更新:2016-11-25 11:19:45 ]

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