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経営コンサルタント吉見からのお知らせ

生活者経済

これからは生活者経済の時代になると、創造経営の創始者の薄衣佐吉先生は言われていました

生活者経済とは、お互いを認め合う横並びの”個の時代”と言うと分かりやすいでしょう。
次に来るかもしれない”個を大切にする時代”になる過程では、バランスを取るために大きなものが崩れていくのかもしれません。近年次々と起きる大企業の不祥事や凋落は、その前兆かもしれません。非現実的ですが、巨大企業などは、次の個人が幸福になる時代には必要なくなると考えると、どうでしょうか?
「大きくなることが素晴らしいことだ」「巨大企業が優れている」と思い込み、みんなが競って大きくなろうと、高度成長期も、バブル期も、リーマン後もグローバル化を目標に一生懸命になりました。新卒者の就職先も大企業志向が一段と強くなっています。
でも、大きくなることで見失ってしまったことがたくさんあると思いませんか。
一番大きく見失ったのは、「個人の存在価値と毎日還る家庭生活」ではないでしょうか。
ローカル地域に生きる人々の存在が、随分軽んじられてきていると思うのは、北海道に住む私のひがみでしょうか。
ささやかな幸福で満足する人々が、地道なその人らしい家庭を営んでいるからこそ地域が存在するはずなのに、その一番大切な「個」を、バブル崩壊後は会社の存続が優先されて、一貫してないがしろにしてしまったのではないでしょうか。
あくまでも個人的な意見ですが、人を軽んじ、個を見捨てる社会が長くは続くとは思えません。
そして、大きくなり過ぎてしまった企業は、今の主要な経営層のメンバーが故人となった創業者の心を忘れ去ると共に、自分でその重さに耐えきれなくなって、支えきれなくなって崩れていくのでしょう。
サンヨー、シャープ、東芝などに見るように、現在それが始まって、もしかすると今後も続いていくのではないでしょうか。
日本国(政府)もそうならないと誰が言えるのでしょう。
私達庶民と言われる人たちが、大きなものではなく小さなもの良さを再び求めていいのではないでしょうか。
中小企業は不必要に大きくなることに価値を置かなくてもいいのです。小さかろうが、チャンと光るものを持ってるじゃないか、として胸を張って生きるのがいいのです。
大きなもの(会社、政府)を支えているのは、構成要素を分解していくと「個」となります。リストラ策が大企業の存続の当然の手法とされ、会社都合で退職する個人を犠牲にしてまで巨大化した会社を残そうとする結果、少しずつではあるものの、変調ををきたしているのかもしれません。
ローカル地区に暮らす私たちは、大企業からではなく、昔のように地域密着の個人商人や地域の技能者から買えるといいのです。当然ながら、地域密着の個人商人や技能者にも、購買者が満足するような質とスキルのレベルアップは求められます。
大企業が独占するようになってコンビニだらけになり、個人商店は本当に本当に減ってしまいました。個人商店をつぶすのを目的として政策や法律が作られ、背後で大手の企業がいろいろ画策したのでは?と勘繰りたくなります。
個人の店がなくなることによって、大手の企業から買うしか選択肢がなくなる流れとなってきました。こうなると、大手の企業は独占的に好きなように価格設定をして売ることができます。そのうち、儲からなくなったからと言って、どんどん撤退されて寂れる地域が出てきています。
大企業が大手を振っている間に多くの人々は、もう個人で店を経営しても大手にはかなわないと思い知らされ、個人で店を続けることをあきらめ、子息は大企業に就職することを切望するようになりました。大企業に就職できないことで自己肯定感を失う人も出ていますし、脱サラや個人創業者も減り続けています。
大企業に就職するしか選択肢はないと思い込んだ学生たちは、少々無理なこと、理不尽なことを要求されてもそれを我慢するしかなくなり、仮面をつけて就職戦線に挑んでいます。誰かに都合の良いピラミッド社会で、苦しい思いをしながら我慢し、生きるためだけに働かなければいけなくなってしまうのが本当に良い世の中でしょうか。過労死者や過労が原因で自殺する人が増える社会が正常でしょうか。
このように、大から小へと、会社から人へと価値観を転換できれば、個人の幸福実現の時代へ進むことができまるのではないでしょうか。
「年齢に関係なく個人を大切に、一所懸命言い切生きる個人が尊重される社会」を目指したいものです。
念のためですが、私は「大」を壊そうと扇動しているのではありません。積極的な棲み分けに取組みませんか、というお話です。

[ 更新:2016-11-04 17:10:39 ]

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