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経営コンサルタント吉見からのお知らせ

吉見事務所通信 2007年9月号より(第46号)

【モディリアーニと妻ジャンヌの物語展】【なぜ家系調査なのか・・・フロイト】【企業の社会貢献:ミック研究所佐藤茂則先生の教えをもとに】【業務改善:真似(マネ)】

【モディリアーニと妻ジャンヌの物語展】
 札幌芸術の森美術館に表題の美術展を観に行きました。お客様でありかつ苫東高の先輩ご夫婦より「気分転換にどうぞ」と同展の招待券のプレゼントがありました。観に行こうと心つもりしていただけに、実にタイミングの良いプレゼントでしたから、素直に感謝です。観に行って、私の予想とはかなり違った展覧会でした。この展覧会の主役はモディリアーニというより、妻であるジャンヌ・エビュテルヌなのですね。モディリアーニの絵はそれなりに展示してあるのですが、構成ではどちらかというと脇役という印象でした。「モディリアーニは人物の内面を、ジャンヌは背景を含めた人物・静物を描いたと」解説されていましたが、彫刻家を志していた彼の描く瞳のない目、細く長い不安定な首の数々の肖像画の印象は、何かよく分からないながら強く訴えるものがあります。今回の展示では、妻であるジャンヌ・エビュテルヌ自身の家族との関り、少女時代、モディリアーニと知り合った1916年12月以後の彼女の画の進歩、美男美女のカップルの生活、ニースでの出産、そしてモディリアーニの36歳での突然の死、その翌日(「彼がいないこの世界は私の居るべき場所じゃない」と言ったとか・・・)に身ごもった21歳の彼女の飛び降り自殺。長女を残し、それも親の住むアパートでの自殺です。何か、若き妻ジャンヌが定められた運命を駆け抜けたような印象を受けました。驚いたこと、父のあとを追って、幼い自分を残し母が自殺したという成育歴にありながら、その娘さんが父親の研究者になっていたことと、名前は母と同じジャンヌということです。運命を知る上で、家系をしっかりたどる意味を教えてくれているようにも感じます。
 この後、野外美術館(70余りの彫刻を野外展示してあります)も久しぶりに散策したのち、雲行きのあやしさから芸術の森を後にしました。駐車場から車を走らせると徐々に雨脚が強まり、しばらくすると1時間以上の激しい雷雨となりましたが、私たちはほとんど濡れずに済みました。有難いことです。

【なぜ家系調査なのか・・・フロイト】
心理学の精神分析学の創始者といわれるフロイトは、主にヒステリー患者の治療を通して、人間の心の世界を、①はっきりしている精神過程である意識、②必要なときに意識することができる前意識、③自分でもよく分からない無意識という3つの領域に分けました。特に無意識の世界には、その人の乳幼児期以来抑圧されていた意識・欲求・感情などが、たくさん沈んで溜まっているというのです。さらにフロイトはこの無意識の領域は、ただ心の奥底にとどまっているだけではなく、その人の性格形成に重大な意義をもっていることを強調しました。前回紹介しましたマルソー㈱取締役最高顧問の鈴木様は、ご講演の中で「①『自分を知る』:自分はどういう人間なのか、どういう能力を持っているのか、どういう性格なのか。長所は何か、短所は何か。②『親を知る』、そこに『自分の生れる前の自分』があり、『現在の自分』があり、『将来の自分』がある。」という表現をして下さいましたが、創造経営教室やその後のフォローでは、この無意識の自分に与える強い影響を自覚して、今後の自己成長に活かしていこうというものです。
さらに、フロイトは、心の世界を、エス(イド)・自我(エゴ)・超自我(スーパーエゴ)の3つの領域に分ける考え方を打ち出しています。心理学は私の専門ではありませんが、これをフロイトの「人格の構造論」と呼ぶのだそうです。
以下は次からの引用です。(http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2600/furoito.html)
・エス(イド)
 ここは現実的な秩序の規制を一切受けない、快楽原理によって支配される領域である。フロイトは性的エネルギーをリビドーと名づけたが、このエスはそのリビドーの貯蔵庫となっている。乳児は時と場合に関係なく排泄をし、空腹になると泣くという具合に、エスの働きに支配されている。エスは人の心の中にある非合理的で反社会的なもの、わがままで駄々っ児の部分といえる。
・自我(エゴ)
 自我は芽生えしていくためにエスの一部が変化したもので、現実原理によって働き続ける。現実を的確に吟味するのだ。現実の要請にあわせて快楽追求を延期させたり、断念させたりするのが自我の役割である。心の中にあって、快楽原理のエスと戦っていく、分別のある大人の部分ということができる。
・超自我(スーパーエゴ)
 自我の芽生えと共に、主として「うそをついてはいけません」などという道徳観が心に植え付けられ、第3の心が形成される。これが超自我と呼ばれ、よく言う良心にあたる。超自我は人を理想的、道徳的に動かそうとする所で、自我の活動をじっと監視しているのです。そこで、自我はこの超自我ともあるときは戦わなければならない。
 フロイトは、エス・自我・超自我の3つの働きによって次の3種の性格類型ができると考えている。
1.エスが強い人:衝動的・感情的・幼児的な行動をする
2.自我が強い人:現実的・理性的・客観的で知的な行動をする
3.超自我が強い人:抑圧的・良心的・自責的で理想主義的に動く

【企業の社会貢献:ミック研究所佐藤茂則先生の教えをもとに】
人を理想的、道徳的に動かそうとする「超自我」という考えを経営に置き換えるなら、企業の社会的責任(社会貢献)が近い概念といえるでしょう。小さくとも企業は社会的な存在です。企業は存続に必要な利害関係者集団(ステークホルダー)としっかり関わり、満足を与え、さらに貢献をすることにより持続できるのです。経営者であれば誰でも知っていることですが、具体的にどのような考えで、何を持って社会的責任を果たすのか、地域に貢献するのか、経営者の言葉で明確に表さない限り、持続可能な企業にはなりえません。一時的に栄えても、継承は難しいものです。
 「自我」は経営という場では、現実の経済取引社会の中で、現実的・具体的に経営を管理して運営するための合理的な側面を現しています。しかし、人間が人間である限り、その合理の裏側には個々人の欲望というどろどろしたものがあります。例えば、「いかに楽をしてお金儲けができるか、みんながやっているからこれくらいはいいだろうということを考える」性も持っているものです。その一例が、少し前の苫小牧での食肉加工業者の数々の法令違反と食肉偽装事件に表れたといってもいいでしょう。人の恣意性をコントロールするために諸々の規制(ルール)がつくられています。その規制を守って経営は営まれていることを信用・信頼し、商取引が成立しています。しかしこの事件は、人の心は時としてその規制を無視し、自分勝手に考え、行動しようとする危険な存在でもあることも教えてくれます。それらをコントロールするのが「超自我」なのですね。
 私たちは小さくとも、自分の企業の取引先や地域社会に果たす役割を自覚し、高い使命感を持って社会に貢献しようとすることが期待されています。その中心にいるのがまさに経営者です。中小企業であっても、このことに気づき、経営者は言葉と行動に表していきましょう。
 しかし欲望と現実(いろいろな価値観が交錯しているのが実社会です)との間に挟まれて経営者は葛藤(迷う)するはずです。ですから経営者は、それらをコントロールする「超自我」の形成をしっかり行っていないと、もし欲望が勝ってしまうと、ニュースで見聞きしたような大きな経営危機(自己破産を含む)に陥ることになります。松下幸之助さんはじめ戦後の混乱した世の中を乗り越えて成功した経営者が最後に話す内容の多くは、まさに自分をいかにコントロール(自律)し、人間として高めていくことができるか(自己成長)、これがいかに重要かということを教えてくれています。戦後生まれの私たちと異なり、明治から昭和初期に生まれた経営者達には、そうしたことを気づきやすい時代的な背景(戦争体験と敗戦経験)があったようです。加えて物・金・時間に恵まれない中、実によく働き、関わる人の心に気遣いを絶やさない人が多い印象を受けます。現代に生きる経営者もその道を全うするために、自分の「超自我」を考えていただきたく、創造経営では「生命力の開発」という表現をしています。
 しかし、経営者がどんなに立派な使命感を持っても、現実の現場ではそれを理解して実現に移す管理者が不在(応援する人、補完する人に恵まれない)なら、孤軍奮闘で終わり、絵に描いた餅になってしまうどころか、経営者が裸の王様状態になってしまうことも珍しくありません。時には周囲に足元を平気ですくわれます。私自身、この失敗経験が何度かあります。今思い返しても本当に悔しいものです。
社会と調和する、あるいは社会に貢献する経営実現の鍵は、経営者自身の生き方を磨くことと同時に並行して管理者たちを育成していくが大きな課題です。創造経営では、「まず経営者が自己成長に取組む。その取組み姿勢(後姿、背中)が管理者を成長させていく!(経営者の心を感じ取れない人、理解しようとしない人は後継者として失敗するでしょう)」と表現しています。社会的責任を果たし、持続し成長する企業を創るということは、中長期的には経営者の右腕、左腕となる管理者の育成と企業後継者の育成がその中核になっていきます。企業の存続にとって、人と資本の成長はまさに中核的課題です。

【業務改善:真似(マネ)】
時々、「マネでは本物は超えられない」とか、「人真似は所詮人真似で、勝負には勝てない、遅い」などと言われます。しかし真似から始まってもそれを徹底し、その成功と失敗の経験からもっといいものへと改善を続けるなら「革新的なもの」「自分らしいもの」は生まれると考えます。私自身のコンサルがまさにそうです。創造経営本部(最近は3年前よりMSC-NET)で学び、たくさんの本を読み、セミナーに出かけ、同業で参考になるものがあれば素直に試し、これらを土台として経験をもとに愚直に改善やスキル、ノウハウの積み重ねを続けているだけです。徹底的にやっていると、ふと気付くと道が開けつつあり、前よりも確実に競争力がついて来ていることが実感されます。ただし、あくまでも私の身の丈レベルです。自分の器以上の仕事はできませんから、結果として依頼された仕事の結果が出せず、涙を飲んで契約終了という事態も現実です。足元を常に固めていきましょう。
歌舞伎の三味線方である杵屋巳太郎様はこう語っています。「技術を磨いて業(わざ)となる。業を磨いて芸となる。明日は今日よりも少しでも進歩していたい。」見習いましょう。

【組織】
組織は人が集まり、関わる場です。その場では、組織のみんなが力を出し、力を合せ、問題を見出し、問題を解決する場でもあります。みんなの関係性により結果が違うはずです。関係性、一対一の関係、二の関係をしっかり見て、絆を作っていきましょう。

【趣味音楽:野外PMF】
ここ数年、PMFのコンサートは毎年聴きに行っています。始めのうちはコンサートホールに出かけていたのですが、2年前から野外コンサートへ、今年はピクニックコンサートという企画の野外コンサートに出かけました。出演は豪華です。オープニングは地元のプロ札幌交響楽団、それも尾高忠明さんの踊るような指揮に始まり、PMFメンバーのブラス&パーカッション・アンサンブル、PMF教授達のピックアップメンバーによる演奏、東京クアルテットメンバーがサポートする弦楽四重奏へと続きます。ラストがPMFオーケストラによる演奏でこの日の締めくくりです。今年のオーケストラの指揮はロシア人のアンドレイ・ボレイコ、聴くのは初めてでしたが個人的には好感を持って聴いておりました。ラフマニノフのピアノ協奏曲3番ではボリス・ベレゾフスキー(1990年の チャイコフスキー国際音楽コンクールのピアノ部門の優勝者)が客演でした。演奏の解釈や批評はできませんが、迫力はビンビン伝わってきた演奏でした。観客の熱い拍手に、客演には珍しいアンコールまで聴くこともできましたよ。私たちの前では札幌市の上田市長も聴いておられ、「握手をしたら、たこだらけの硬い大きな手だった」と隣の席の方と話されていました。休憩をはさみつつ7時間余り、夏の北海道の爽やかな日差しの中、管弦楽の多くの楽器の音の波動の中に身をゆだねる至福の一日でした。
なお、パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)は、世界の若手音楽家の育成を目的とした国際教育音楽祭です。20世紀を代表する音楽家、レナード・バーンスタインの提唱で1990年に始まり、毎年7月頃に札幌を主会場に開かれています。

[ 更新:2007-09-01 08:52:32 ]

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